平成16年(行ウ)第524号 原 告 原告番号1番 外24名 被 告 厚生労働大臣 平成17年6月15日 東京地方裁判所 民事第38部 御中 原告ら訴訟代理人 弁護士 徳 田 靖 之 意 見 陳 述 書 私は、本件訴訟の審理の対象となる争点の所在を明らかにするため、原告らが平成17年6月1日付で提出した準備書面(1)の争点について、意見を申し述べます。 1.本準備書面の趣旨 (1)既にご承知のとおり、本件と同種事件として、日本統治時代に韓国に設置された小鹿島更生園の入所者による、不支給決定取消請求事件が東京地方裁判所民事第3部に係属しており、既に証拠調を終えて、来る7月19日に結審することになっています。 同事件は、本件訴訟と主たる争点を共通するものであり、争点に関する双方の主張もほぼ尽くされています。 被告の本件訴訟における答弁書も、単に訴状に対する認否・反論を超えて、同事件における論証の経過を踏まえて作成されたものと理解することができます。 (2)一方で、本件原告らは、いずれも高齢です。生きて勝訴判決を得たいとの願いは切実であり、本件の早期解決は至上命題であって、主張整理に時間を費やして結審・判決が遅延するに至るような事態は、到底許されることではありません。 (3)そこで原告らは、本準備書面を事実上の最終準備書面として、本件に関する 原告らの主張を全面的に整理するとともに、被告の主張のすべてを分析・検討し、その破綻を明らかにすることにしたものです。 2.本準備書面の要点 (1)台湾での隔離政策の展開と台湾楽生院の創設 ① 本準備書面では、先ず、台湾におけるハンセン病隔離政策がわが国のハンセン病隔離政策の一貫として実施されたものであることを明らかにしました。 台湾での隔離政策における特徴は、わが国のハンセン病隔離政策の法的根拠となった「旧癩予防法」(昭和6年に改訂された明治40年法)が勅令によって、そのまま台湾に施行されたということです。 重要なことは、その施行にあたって、「道府県」を「州」に読み替える等のいわゆる読み替え規定が設けられたにも拘らず、同法3条1項の「国立療養所」については、これを「台湾総督府癩療養所」と読み替えるとの規定が設けられなかったという事実です。 このことは、告示1号が掲げる同法3条1項の「国立療養所」に台湾楽生院が含まれることが当然の前提とされていたことの決定的な証拠となるものです。 ② また、原告らは、同書面において、日本国内に居住していたハンセン病患者や戦地で発病した日本兵が楽生院に直接収容されていた事実を明らかにしました。 原告らは、この事実こそ、楽生院が日本国内で適用されていた旧癩予防法3条1項の国立癩療養所として機能していたことの何よりの証であると考えます。 旧 癩予防法3条1項は、「行政官庁は、癩予防上必要と認むるときは、・・・国立癩療養所に入所せしむべし」と規定しているのですから、日本国内のハンセン病 患者が楽生院に直接収容されていたということは、楽生院がその「国立癩療養所」であることが当然の前提とされていたと考える外ないからです。 ③ そのうえで原告らは、原告本人の陳述書に基いて、原告らが台湾における隔離政策によって受けた強制収容、終生隔離、労働・断種・堕胎の強制、無らい 州運動等の被害実態を明らかにし、原告らの被害が国内における隔離被害と同等否それ以上に過酷であったことを明らかにしました。 日本国によって、同一の政策の一環として、同一の法律に基づいて被った同一の被害でありながら、何故に、日本国内の療養所のみが補償法の対象となり、台湾楽生院が除外されるのか。 裁判長、本日のビデオでも明らかにされているとおり、この点こそが原告らが最も訴えたいところなのであり、本件訴訟で問われている根本は、まさにこの平等原則そのものであるということをご理解いただきたいと思います。 (2)補償法の趣旨及び同法2条の法意 ① 次に、本準備書面では、補償法の趣旨及び同法2条の法意について、法案の起草過程や国会での審議状況、同法の規定ぶり等を踏まえて原告らの主張を明らかにしました。 ② 原告らが特に強調したい点は、次の3点にあります。 第1は、法案の起草過程に関する江田意見書(甲第34号証)の存在です。 議員立法である補償法の草案が確定したのは、平成13(2001)年6月7日の自民・民主両党の4者会談です。そのメンバーの1人であり、元裁判官でもあった江田五月議員は、甲第34号証の中で、 「法案では、日本国籍も本邦居住も要件とせず、入所の時期的限定もしていないから、適用対象を限定的に解釈する合理的理由は全くなく、むしろ国内よりも苛酷な被害を受けたソロクト・楽生院入所者に対しては、当然に同法の適用が受けられるべきだ」 と明言しています。 第2は、国会での審議過程では、同法の対象がわが国のハンセン病隔離政策によるすべての被害者を対象とするものであることが繰り返し明らかにされているという事実です。 被告は、国会における桝屋副大臣(当時)の答弁を引用して、補償法では、植民地の療養所は除外されていたと主張しますが、国会議事録(乙第8号証 19頁)を一読すれば明らかなとおり、同副大臣は、「検証するための委員会、この活動の中で考えていくべきだと思っており」と答弁しているにすぎません。 この答弁は、厚生労働省として調査未了であることを明らかにし、調査の必要性に論及したものであって、韓国や台湾の療養所を補償法の対象から除外することをいささかも意味していないのです。 桝屋副大臣がその答弁で言及した「検証するための委員会」は、補償法の成立後、厚生労働省から委託を受けた「ハンセン病問題に関する検証会議」として発足し、この3月にその最終報告書を厚生労働省に提出しました。これが甲第31号証です。 同報告書では、台湾における強制隔離政策について分析したうえで、「楽生院も小鹿島更生園も日本国内の国立療養所と同等に扱われている。日本国内と植民地における政策の一貫性を改めて指摘しておく」と記述されています。 本来なら、被告が補償法の成立を受けて直ちに調査に着手すべきであった植民地における隔離政策とハンセン病療養所の実態について、検証会議がその解明を終えたということになります。 被告が桝屋副大臣の答弁を重視するというのであれば、この検証会議の報告書を真摯に受けとめ、直ちに原告らの請求を棄却した決定を取り消して、原告らに補償法の適用をすべきことは明らかです。 第3は、補償法2条の規定ぶりについてです。 同法2条は、「国立ハンセン病療養所その他の厚生労働大臣が定める療養所」と規定しています。つまり「国立ハンセン病療養所」は、厚生労働大臣が定める療養所の例示にすぎないということです。 このことは、補償法の対象が昭和28年によって設置された療養所と連続性を有する療養所に限定されるとの被告の立論の根本的な誤りを明らかにするものと言う外はありません。 ③ そのうえで原告らは、被告がしきりにその主張の根拠として強調する熊本地裁判決と補償法との関係について被告主張の誤りを徹底的に明らかにしました。 裁判長、是非とも同準備書面38項以下をご精読いただきたいと思います。 国家賠償法による損害賠償請求としての熊本地裁判決と損失補償法である「ハンセン病補償法」の性格の相違は明らかであり、補償法は、熊本地裁判決と は全く異なった算定基準を独自に定めることによって、旧癩予防法下の戦前のみの入所者に対する補償法の適用に途を切り開いたのです。 戦前のみの国立療養所入所者という意味では、原告らがまさにこれに該当することは明らかです。 (3)被告の主張の破綻について 被告は、本件不支給決定の論拠として、「前身」「連続性」論、内地限定論、国立癩療養所官制論等を持ち出しています。 本準備書面では、これらの論拠の誤りについて詳細に論じていますので、これを繰り返すことは省略させていだきます。 原告らとして強調しておきたいことは、これらの論拠は、いずれも、告示制定後に原告らの請求を受けて、自らの免責を図るために事後的に創り出された弁明にすぎないということです。 このことは、法案の起草段階や国会審議の過程で、「前身」「連続性」等の議論が全くなされていないことから明らかです。 内地に限定する等という議論も全くなされていないのです。 そもそも被告のいう内地外地なる概念が相対的であって、補償法の対象を区別する基準たりえないことは、北海道、沖縄、奄美がかつて「外地」とされていたという一事をもってしても明らかであり、日本国が内地外地一体化政策を推進していたことは、歴史的事実でもあります。 国会では調査未了のために具体的に言及されなかったにすぎない事柄を、除外したと強弁する被告の論理は、法解釈の常識を超えるものです。 そのうえで、「国立癩療養所官制」論に至っては、同官制が昭和21年に廃止されているという事実を看過した自らの首を絞める主張と申し上げる外はありません。 その論理に従えば、被告が補償対象と認めている国立療養所の大半が昭和21年から「新らい予防法」の制定される昭和28年まで、告示1号に該当しないということになってしまうからです。 (4)楽生院の告示該当性 最後に本準備書面では、厚生労働省告示の解釈基準を明らかにして、楽生院が同告示に該当することを明確にしました。 勅令によって「旧癩予防法」がそのまま適用された台湾において、国によって設置された楽生院が告示1号の「国立癩療養所」に該当することはもはや明白です。 少なくとも、台湾楽生院が告示2号に列挙された3類型の療養所以上に告示1号の「国立癩療養所」と同視することが相当と認められることは争う余地がな いところであり、告示1号ないし2号の類推解釈によって原告らが補償法の支給対象となるべきことは明らかと思料します。 3.今後の審理について 以 上述べたところを踏まえたうえで、原告らとしては、本件訴訟の核心は、日本国によって同一の政策、同一の法律に基づいて設置された療養所に入所させられ、 同一の被害を受けたものでありながら、何故に原告らが除外されなければならないのかという「平等原則」への問いかけにあると考えます。 その意味で、楽生院の被害実態を原告本人尋問によって確認したうえで、これを前提にしての早期結審、早期判決を改めて切望する次第です。 以 上 | 平成16年(行ウ)第524號 原 告 原告番號1番 外24名 被 告 厚生勞動大臣 平成17年(2005年)6月15日 東京地方裁判所 民事第38部 御中 原告訴訟代理人 律師 徳 田 靖 之 意 見 陳 述 書 本人為了使本件訴訟審理對象之爭點所在能夠清楚地呈現出來,僅就原告於平成17年(2005年)6月1日提出的準備書面(1)的爭點陳述意見。 1.本準備書面旨趣 (1)就如同貴部已經了解的一樣,和本件同種類事件之日本統治時代於韓国所設置的小鹿島更生園的入所者提起之撤銷不支給處分請求事件正係属於東京地方裁判所民事第3部,已經証據調查終結,將於7月19日結審。 同事件與本件訴訟之主要爭點具有共通的地方,双方關於爭點之主張也幾乎已經都陳述完了。 從被告之本件訴訟中的答辯書也可以看出,該答辯書針對訴狀加以否認・反論,僅僅是沿襲該事件的論証經過所作成的東西。 (2)另一方面,本件原告都已高齢,在有生之年,穫得勝訴判決的期望甚為迫切,本件之期早解決是最大的課題,我們絕對不能同意因為主張整理上需花費時間而使結審・判決遅延的情形發生。 (3)在此,本人僅就原告之本準備書面,事實上可以說是最終準備書面,關於原告的主張除了全面性地加以整理之外,也就被告的所有主張加以分析、検討,將其破綻清楚地呈現出來。 2.本準備書面的要點 (1)在台灣之隔離政策的展開和及台灣樂生院的創設 ① 本準備書面中,首先很清楚地指出在台灣的漢生病隔離政策作為日本漢生病隔離政策一環所實施的政策。 在台灣的隔離政策的特徴是,完全依照日本漢生病隔離政策的法律根拠之「舊癩予防法」(昭和6年修改之明治40年法),透過勅令的頒布在台灣施行。 很重要的事實是,其施行時,僅管設有以「州」來替代「道府県」等所謂的替換用語的規定,但是並沒把同法第3條第1項的「國立療養所」替換成「台灣總督府癩療養所」之規定。 從這件事可以看出,告示1號所掲示之同法第3條第1項的「國立療養所」中,是以包含台灣樂生院在內為當然的前提,這是一項決定性的証拠。 ② 又,原告在同書面中很清楚地指出,居住在日本國内之漢生病患者或在戰地發病之日本兵也直接収容在樂生院之事實。 原告認為,這一事實正可以証明,樂生院和在日本國内適用的舊癩予防法第3條第1項所指的國立癩療養所具有同樣的機能。 因為舊癩予防法3條1項規定「行政官廳認為在癩予防上有必要時,・・・應使其入院於國立癩療養所」,所以無可置疑的,日本國内的漢生病患者被直接收容到樂生院這一事實,是以樂生院是該法所指的「國立癩療養所」為當然的前提。 ③ 不僅如此,原告等根據原告本人的陳述書,很清楚指出,原告等因在台灣之隔離政策而受到強制收容、終生隔離、勞動・結紮・強制堕胎、無癩州運動等之被害的實際狀態。原告所受到的侵害與日本國内受隔離侵害的程度沒有兩樣,甚至更有過之而無不及。 因為日本國之作為,同一政策的一環以及基於同一法律,遭受同一侵害,但為何只有日本國内的療養所才是補償法的對象,台灣樂生院卻被排除在外? 正如審判長、今天的錄影帶中所稱楚指出的一樣,此點才是原告最想控訴的地方。本件訴訟被問到最根本的地方正是平等原則這一概念,希望能穫得充分的理解。 (2)補償法旨趣及同法第2條的法意 ① 其次,關於本準備書面中,補償法的旨趣及同法第2條法意,從法案起草過程、在國會的審議狀況、同法規定的適用等,來清楚說明原告的主張。 ② 原告特別想要強調的地方有下面3點。 第1、法案起草過程中關於江田意見書(甲第34號証)存在。 議員立法之補償法草案是在平成13(2001)年6月7日自民・民主兩黨4人會談中所確定。其中1人曾是裁判官的江田五月議員。甲第34號証中江田議員明確的說到: 「法案中不以日本國籍或居住本國為要件,入院時期也不加以的限定,所以限定適用對象之解釋完全無合理的理由。反而比較起來,對於比國内還要受到殘酷侵害的小鹿島・樂生院入院者,當然應該受同法之適用」 第2,國會審議過程中,同法的對象是以因日本漢生病隔離政策而受被的所有的人為對象這一事實反復被提起。 被告引用國會上桝屋副大臣(當時)的答辯說,補償法中主張將植民地療養所除外。但是,如果去一讀國會議事錄(乙第8號証19頁)便可清楚知道,桝屋副大臣只不過是答辯「檢証委員會認為,在這一活動中應該這樣思考」而已。 此答辯清楚地指出,厚生勞動省的調査尚未完了,而論及調査必要性,完全沒有將韓國或台灣的療養所從補償法對象中除外的意思。 桝屋副大臣的答辯中所言及之「檢証的委員會」是指補償法成立後受厚生勞動省委託之「漢生病問題檢証會議」,今年3月向厚生勞動省提出最終報告書。此報告書便是甲第31號証。 同報告書中分析了在台灣強的制隔離政策外,還記載到「樂生院和小鹿島更生園皆和日本國内國立療養所一樣,受到同等對待。再一認指出日本國内和植民地的政策的」。 本來,被告應該在補償法成立後立即著手調査植民地下的隔離政策和漢生病療養所的實態,最後卻由檢証會議把這件是完成。 被告如果重視桝屋副大臣的答辯的話,應該真摯地去理解這一檢証會議報告書,立即撤銷駁回原告請求的處分,讓原告適用補償法才是。 第3,關於補償法第2條的規定 同法第2條規定「國立漢生病療養所及其他由厚生勞動大臣所訂定之療養所」。也就是說,只是例示規定「國立漢生病療養所」是由厚生勞動大臣所指定之療養所。 從這一規定可斷言,主張補償法的對象是限定於和昭和28年(1953年)設置之療養所具有連續性之療養所的被告的立論很明顯根本是錯誤的。 ③ 而且,原告徹底且清楚地指出了被告不斷以該主張為根據強調熊本地裁判決和補償法的關係之錯誤。 希望審判長一定要詳細閱讀該準備書面38項以下的地方。 依據國家賠償法請求損害賠償之熊本地院的判決和損失補償法的「漢生病補償法」之性格明顯不同,補償法與熊本地院判決完全不同,是依據其獨自作出之算定基準,而開出一條僅針對舊癩預防法下戰前的入院者適用補償法之途。 僅在戰前之國立療養所入院者之意義中,原告顯然正是該當此意之人。 (3)被告主張之破綻 被告提出「前身」「連続性」論、内地限定論、國立癩療養所官制論等來作為本件不支給處分的論據。 本準備書面中關於這些論據的錯誤已詳細論及,在此不再反覆贅言。 原告所想要強調的是,這些論據拠完全是因告示制定後受到原告的請求,為圖免去自己的責任,事後所創造出來的辯解。 此事可以從在法案起草階段和國會審議過程中,「前身」「連續性」等討論完全沒有被提出之事實得到証明。 限定於内地等之討論完全沒有被提過。 原本被告所說之内地外地的概念是相對的,從北海道、沖縄、奄美等過去被認為是「外地」是事實可以証明,內地外地之概並不足以成為區別補償法的對象之基準,日本國推動内地外地一體化政策也是歴史的事實。 將國會只不過因為調査未完了,而末具體言及之事情除外,作為強辯之被告的論理已經超過法解釋之常識。 而且,論及「國立癩療養所官制」時,誇大該官制在昭和21年(1946年)廢止之事實,可以說是自我矛盾之主張。 因為,就論理而言,被告所承認之補償對象的國立療養所的大部分是從昭和21年(1946年)起到「新預防法」制定之昭和28年(1953年)至,並不該當於告示1號。 (4)樂生院之告示該當性 最後本準備書面中,明確地指出厚生勞動省告示的解釋基準,証明樂生院該當於該同告示。 依照天皇之勅令使「舊癩預防法」完完整整地適用於台灣這個地方,由國家所設置之樂生院已經明顯該當於告示1號的「國立癩療養所」。 至少,只要台灣樂生院為告示第2號所列舉之3個類型的療養所,認定樂生院可視同為告示1號「國立癩療養所」之見解妥當,並沒有爭論的余地。顯然地,應該透過告示1號或者是2號之類推解釈,使原告成為補償法之支給對象。 3.關於今後之審理 經過上述的說明,以原告的立場來說,被強制入院於依據日本國所為之同一的政策、同一的法律所設置之療養所,僅管是同一之受害的人,為何原告等必須被排在除外?這個對於「平等原則」的疑問才是本件訴訟的核心。 因此,再一起深切盼望,經由原告本人尋問確認樂生院的受害實態之後,以此為前提早日結審作出判決。 以 上 |